最近、認知症で行方不明になっていた方が、7年ぶりにご主人と再会し、「とてもハッピー」な印象の報道がありました。
これに対して、いろいろと考えてしまいました。
「ハッピー」ではありますが、文明国、日本でなぜ7年も行方不明だったのか?衣類に苗字、名前が書かれてあったのにもかかわらず…です。「ミエコ」さんと「エミコ」さんと記載間違いがあり、照会できなかったとか?デジタル社会というか、お役所仕事というか。しかし考えてみれば、莫大な数の徘徊、行方不明の方々を、アナログで照らし合わせることは、不可能ですし、ヒューマンエラーは必ずありますし、東京から群馬と、遠くまで行っちゃっているし…。不幸な条件がかさなって7年間という期間になってしまったといえるでしょう。
もう一件、ご家族が目を離したすきに、おじいちゃんが徘徊し、電車にはねられてしまった、という不幸な事件も話題になりました。なぜなら、損害を被った鉄道会社が、賠償を請求し、裁判で、「目を離したおばあちゃんに監督責任がある」と、約359万円の支払いを命じた、からです。
7年ぶりに再会できたご夫婦は、電車に乗って遠くまで行っちゃったけど生きていたので「ハッピー」な報道。ここで、こんな不幸なこと考えてはいけないかもしれませんが、そのおばあちゃんが、もし電車事故を起こしてしまっていたら、おじいちゃんは損害賠償を支払わなければならなかったのです。これはぜったいにおかしい、と思いました。
そしたら本日、もっと驚きの情報がありました。「7年間、行方不明のおばあちゃんの面倒を見た生活費が1000万円かかったとか。群馬県館林市は、これをおじいちゃんに請求することを検討している!」とありました。
私も「認知症」の方々を診させていただいています。不幸にして、ある程度認知症が進んでしまった方は、なにをしでかすかわかりません。突然、どっかに行ってしまうこともあります。最悪なのは、ご家族が注意をすると怒りだしてしまったり、時にはおばあちゃんに手を出したり…。どんなにどんなに愛情を注いでも、献身的に介護介助を施しても、絶対に「問題行動」をふせぐことができません。できるとすれば「監禁」か「姥捨て山」しかないかもしれません。
「認知症」大きな社会問題です。