2012.2.14 5回目の弔い山
小生の人生に最も影響のあった、とてつもなく大事な「師匠」を亡くしました。1月16日のことでもう一ヶ月ちかくもたってしまいましたが、じわっと堪えてきています。もともと美食家、大飯食らいで、そのためか糖尿病、脳梗塞をわずらい、それでも90歳まで生きたのですから大往生ではありましたが・・・・。その人は、小生の大好きな「山」をそして「集団生活の大切さ」を教えてくれた中学時代の塾の先生です。とてつもないスケールの大きな方で、先生から得た「格言」は無数にあります。英語の先生ではありましたが、『オレはお前らに英語を教えるのではない。英語で教えるのだ!俺はお前らに山を教えるのではない。山で教えるのだ!教育の「教」は簡単だ。教育の「育」こそがとても難しい。それを「英語」で、「山」で、教えるのだ。』なんてことを常々豪語していました。この言葉は小生にも強烈に響いて、小生も山で教える(育む)つもりで子ども3人を山に連れまわしました。でもやっぱり「育」は難しかったですね。
そんな偉大な先生を亡くし、先生に教えていただいた山に無性に行きたくなり、やっと時間のとれた先週、山に入ってきました。目的地は中学一年生のときに、先生にはじめて連れて行っていただいた西穂高岳にしたかったのですが、今回の山行には相棒がいて小学6年生の次女と一緒でしたので、安全かつ容易に登れ、便利で、小屋の営業している、そして槍穂高連峰の見える八ヶ岳に行ってきました。寒かったのですが、幸い天気はよく槍穂高も遠くではありましたがくっきりと望めました。穂高にむかってひっそりと掌を合わせることができました。
以前にも述べましたが、大学時代に小生を慕ってくれていた当時高校3年生の後輩。
大先輩で人生そのものや、山、その仲間の素晴らしさを教えてくれた山男。
1年年下ですが非常にクレバーな奴で、小生の最も尊敬していた後輩。
医師でもあり、小生をヒマラヤに連れて行ってくれた本物の登山家。
そして今回が5回目の弔い山行となりました。(合掌)