2012.5.7 安達太良山登山断念

 ゴールデンウィーク後半は4日のお休みが可能であったので、少し遠方の山に足を踏み入れることを考えました。家族で福島県の安達太良山に登る計画でした。安達太良山の中腹の谷あいには、くろがね小屋という小屋があり、秘境の温泉があります。登山道へ入って2時間も歩けば小屋に到着し、温泉で一杯。目的はこれです。その翌日は安達太良山へ登頂し、ゆっくり下りても昼前には下山のできる山。また頂上付近にはまだ雪がたっぷりあって(あるはずで)雪遊びをみんなでしようと、名古屋から出かけました。10時間くらいのドライブの後、登山口に到着しましたがその間ずっと土砂降りでした。気合をいれ、雨具を着込み、イザ出発!しかし出発後20分も歩くと登山道を幅5mくらいの濁流が横切っています。渡れません。ここで登山を断念し下山となりました。全部で1時間も歩いていません。

 久しぶりの撤退でしたが、自然には勝てません。くろがね小屋の温泉は楽しみだったのに・・・・・・・とても残念です。しかし山は逃げません、また暇をみつけて必ず行きます。しかし、なんせ遠い!遠い!

 登山断念のおかげで、その日は東北の惨状をほんの少しではありますが直に感じることができました。次の「よもやま話」に書いてみました。

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2012.5.7 東北の被災地はまだまだ悲惨

 くろがね小屋に泊まれないわれわれ家族は電話をかけまくり、その日のねぐらを確保しようとしましたがGW後半初日の宿泊であり、なかなかうまくいきません。しかし、運良く南三陸町のホテルに部屋が空いていました。カーナビにいれ、ホテルに向かい、峠を越え、海岸方面へ向かったところ、いきなり津波でやられた現場に入って行きました。瓦礫はほとんど片付けられていますが、家は土 台だけでまったくなし、かろうじて残ったビルは骨組みだけか、傾いています。線路は崩れ、いきなり崖にトンネルが丸見えです。車もまだそのまま転がってもいます。ショックでした。テレビで何度も見た光景ですが、いまだにそのままです。ビルの屋上に車も乗っています。あるのはほんの数件のプレハブでのコンビニだけで、そのほかのお店もありませんでした。雨でもあり、現地の人はどこにもいません・・・・。しかし高台には役場や、その他の町の機能が集約された場所があり、夜の飲み屋さんの集まりなどもあったりして、ちょっとほっとしたりもしましたが。

 問題は山積されています。小生思うに一番の問題は地盤沈下です。90cmほどの沈下があるそうで、特に今回の大雨の時などには道路がいたるところで冠水し、通行止めになっていました。これでは町に住むどころか、工場や仕事場を造るにしても大問題です。

 いまだに瓦礫の持ってき場所や処理に困っている状態ではらちがあきません。われわれ名古屋もしっかりと受け入れ、瓦礫を処理し、何とかして町全体を1mかさ上げし、堤防を造り、水産工場、その他生活の基盤を造り、高台には生活の空間を造り上げる・・・・・・。先はまだまだ長い。長すぎます!

 ただの野次馬で写真を撮ったりして・・・・、現地の人たちの気持ちも分からず、なにもすることができない無力さを直に感じ・・・。情けなかったです。

 何かできること・・・・また、考えることを約束して帰名して来ました.

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2012.5.1 つらい登りのあとは最高のごほうびが

 4月28~29日に穂高に行ってきました。小生にとって、この4月29日は思い入れがあり、何とかいい景色の写真が撮れないかと思い、北穂高岳からのご来光を求め27日の夜に一人で出発をしました。夜行のドライブの後のロングコースで、正直、頂上まで行けるのは五分五分だと考えていました。今日の中日新聞1面に、前穂高岳、奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳に囲まれた「涸沢(からさわ)」テント村が載っていましたね。ここは穂高の景色が最高で、おでんありーの、生ビールあり~の。天国です。この涸沢に到着し、12時に出発できる状態であれば、北穂高岳に挑戦しようと決めての出発でした。焦らず、マイペースで体力を温存しながら歩くこと5時間半、11時過ぎに涸沢に到着しました。天気は最高で行くしかない、見上げると北穂高岳に向かう沢には中ごろに2人だけが取りついているのが見えました。その前にはだれも登っておらず雪に道はまだついていないとのこと。追いつくかもしれないかも?などと浅はかのことを考えての出発でした。

 初めの1/4程度はまだ順調でした。しかし、次第に気温は上がり、雪が解けてきます。表面は凍っているように見えますが、実に薄い氷で、その下は空洞ともいえるグッスグッスの雪になっていきました。途中の雪崩のあと(デブリといいます)のところで、先行する人の踏み跡を見失いましたが視界はいいし、どこでも歩けるのでいいやと考え踏み跡など気にせず登って行きました。このあたりからです。一歩踏み込むと膝までズズッと埋まっていきます。埋まらず立てた、と思ったら、ズボッ…。時に腰までズズズボッ。ピッケルを雪面にさしても頭まで抵抗なく刺さってしまい、左手で表面の氷をそおっと押さえて手足で体重を分散し四つん這いで登っていきます。それでもズズズボッ!。2人目の登山者はあきらめて下山されました。しかしお尻ですべって降りて行かれましたが、雪が柔らかくほとんど滑りません。立ち上がると腰まで埋もっています。下りるに下りられません。先行する人の踏み跡に戻れたのは頂上直下の急斜面でした。これで楽になるかと思えば何のその、四つんばいでないと、ズボッ。このあたりで体力は限界になり、1歩、歩くのに息を5回くらいしないと脚が前に出ません。とうとう先行する人には追いつけず情けないとも思いました。追いつくのにわざと追いつかなかったわけではないですので泥棒ではありませんが、小生のようなものを、他人のラッセルした道を楽に登る「ラッセル泥棒」というのです。しかし、ラッセルもつらいですが、このような状態の斜面はそれ以上の「地獄」でした。

 その地獄を味わった後の景色は最高でした。頂上は独り占めです。写真は頂上からの槍ヶ岳ですが、前穂高岳頂上とそこから連続するギザギザの北尾根、北穂高岳の巨岩、飛騨側の笠が岳…雲一つない絶景でした。北穂高岳の頂上には快適な小屋がありますが、連休初日にここまで登ってきたのは2人だけ。小屋も2人占めでした。翌朝の常念岳から登るご来光はこれまた最高で、念願の写真を撮って下りてきました。翌朝はもちろん氷点下で雪は締まっており、下りは滑って落ちないようにしなければなりません。順調に下山、14時にはふもとの温泉につかり、明るいうちに帰名することができました。

 苦しいことを乗り越えれば、必ずごほうびがあります。やっぱり山は大好きで、苦労は買ってでもいたします。

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2012.2.14 5回目の弔い山

2012.2.14 5回目の弔い山
 小生の人生に最も影響のあった、とてつもなく大事な「師匠」を亡くしました。1月16日のことでもう一ヶ月ちかくもたってしまいましたが、じわっと堪えてきています。もともと美食家、大飯食らいで、そのためか糖尿病、脳梗塞をわずらい、それでも90歳まで生きたのですから大往生ではありましたが・・・・。その人は、小生の大好きな「山」をそして「集団生活の大切さ」を教えてくれた中学時代の塾の先生です。とてつもないスケールの大きな方で、先生から得た「格言」は無数にあります。英語の先生ではありましたが、『オレはお前らに英語を教えるのではない。英語で教えるのだ!俺はお前らに山を教えるのではない。山で教えるのだ!教育の「教」は簡単だ。教育の「育」こそがとても難しい。それを「英語」で、「山」で、教えるのだ。』なんてことを常々豪語していました。この言葉は小生にも強烈に響いて、小生も山で教える(育む)つもりで子ども3人を山に連れまわしました。でもやっぱり「育」は難しかったですね。

 そんな偉大な先生を亡くし、先生に教えていただいた山に無性に行きたくなり、やっと時間のとれた先週、山に入ってきました。目的地は中学一年生のときに、先生にはじめて連れて行っていただいた西穂高岳にしたかったのですが、今回の山行には相棒がいて小学6年生の次女と一緒でしたので、安全かつ容易に登れ、便利で、小屋の営業している、そして槍穂高連峰の見える八ヶ岳に行ってきました。寒かったのですが、幸い天気はよく槍穂高も遠くではありましたがくっきりと望めました。穂高にむかってひっそりと掌を合わせることができました。

 以前にも述べましたが、大学時代に小生を慕ってくれていた当時高校3年生の後輩。
大先輩で人生そのものや、山、その仲間の素晴らしさを教えてくれた山男。
1年年下ですが非常にクレバーな奴で、小生の最も尊敬していた後輩。
医師でもあり、小生をヒマラヤに連れて行ってくれた本物の登山家。
そして今回が5回目の弔い山行となりました。(合掌)

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2011.9.27 暑さ寒さも彼岸まで(穂高で実感)

 先日の台風襲来の前後で明らかに気候が変わりました。お彼岸の連休のあたりから朝晩の気温はぐっと下がってきていますね。そのためでしょうか、体調を崩された患者さんが本日も多く来院されるようになってきました。これからも日によって、また同じ日内でも気温の高低差が大きくなります。体調管理には充分お気をつけください。

 小生、連休に、その気候の変化を肌で実感することができました。9月23・24日と焼岳・穂高岳に登った時のことです。季節はすでに秋であることを充分認識しており、それなりの防寒具は準備したつもりではありましたが、数日前まで30度オーバーの真夏の生活をしていた体には寒さがしみました。標高2385mにある西穂山荘という小屋の前にツエルトという簡易テントを張ったのですが、ウトウトしていて寒いなあと思っていたら夕方で摂氏たった1度。夏山でツエルトを使用すると自分の吐いた息がツエルトの内側に結露し、バタバタ風が吹くとそれが飛び散ってあまり快適でないのが普通であり今回も覚悟をしていたのですが、その後氷点下となったためツエルト内面に凍り付いてしまい、水滴は降ってきませんでした。夜中にあまりにも寒いのでお湯を沸かして飲みましたが、その時の湯気がまたその氷の上に凍りつき、朝にはバリバリのツエルトになっていました。日の出前に出発したのですが、空は満天の星でそれはそれは見事なもの、天の川も覆いかぶさってくるような感じでした。天気がよければ寒いわけで、出発時の気温はマイナス3度、前夜に多少の雪も降ったようで、岩の間に雪が残ってもいました。このように山は確実に秋に入ってました。ただ紅葉で有名な涸沢カールは上から見たのですが、まだまだまっ青(緑)で、夏からいきなり秋に入ったばっかといった状態でしょうか。そして穂高はこの短い秋のあとにすぐ厳冬を向かえます。

 それにしても連休で山はすごい登山者の数でした。山小屋はパンパン。テントサイトもパンパンでテントはくっつけて張られ、隣のテントからイビキも寝言もオナラもガンガン聞こえてきました。翌日は山でもう一泊するつもりでしたが、あまりの混雑で興ざめ、一気に下山してきました。

 秋を実感できた今回の山行も最高でした。冷たい、しかし快適な穂高の岩の感触をじっくりと楽しみ、満喫!気がつくと指先の感覚はなくなっており、下山後3日めの本日もまだ指先は赤く染まって若干しびれています。その他、寒くて寝付けなかった一夜、満天の星、歩きながら見たご来光、終始富士山が見えたほどの快晴の中の見渡すかぎりの山々の景色、混雑で30分も待たされた奥穂高岳のハシゴ・・・・・・。みな楽しい思い出です。やっぱり山はやめられません。
写真は奥穂高岳手前の岩場です。

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