2009.8.20 今年の夏休みにも、家族での登山を楽しみました

 お休みを取れば患者さんにご迷惑がかかるのは重々承知していますが、われわれがまとまったお休みをいただけるのは夏と、年末年始だけです。そこできっぱりと割り切り、後方病院や訪問看護師さんのバックアップ体制に甘え、しっかりと夏休みをとり、しっかりと楽しんで参りました。

 今年のテーマは「試練と憧れ」です。試練と憧れで有名な山といえば、今年夏の映画「剱岳 点の記」で話題となった「剱岳」です。剱岳の登山口である馬場島に「試練と憧れ」の碑があります。その標高740mの馬場島より2999mの山頂まで2260mを一気に突き上げる日本一過酷な早月尾根を家族全員で登り上げました。早月尾根の登山道はその長さ、標高差のすごさ、厳しさだけではなく、上1/5は岩場が続き、とても魅力のある登山道です。その登山口にはもうひとつの言葉が刻まれています。

一、剱岳は岩と雪の殿堂である
   身心とも鍛錬された人よ来たれ
二、気象は激しく変動する
   着冷静な行動に徹せよ
三、掟は厳しい 力と勇気をもって
   苦難に挑め
四、自然は生命を躍動させる
   無垢な姿をとこしえに
五、山によせる心のたかまり
   剱岳は逞しさと豊かさを育くむ

「試練と憧れ」の山、剱岳登山は・・・下に続きます。

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2009.8.20 試練と憧れ

2009.8.20 試練と憧れ

 8月13日朝3時30分より登山開始。はじめの試練は、真っ暗闇の中の虫の大群でした。止まって休憩すると刺されます。その後は降り止まぬ雨。そして早月尾根の本来の試練、急登、急登の連続でした。途中で1泊し、8月14日は出発とともに望みどおり晴れてきました。次第に標高も上がり虫もいません。しかしザレ(砂でざらざらの急登)や急斜面のトラバース(横切り)が続きます。そこを家族で力を合わせ、励ましあいながら歩行時間正味12時間ほどで試練と憧れの地、剱岳頂上に到着しました。頂上は360度のパノラマで感動ものです。特に昨年も剱岳の登頂を試みたのですが悪天候のために断念していますし、とても感慨深いものがありました。やはり憧れの山です。

 翌日の8月15日は、早月尾根の南側の大日三山(奥大日岳、中大日岳、大日岳)を縦走しました。前日、前々日に登った早月尾根を眺めながらの縦走です。大日三山は剱岳とは対称的に女性的な山でこのあたりの登山道には岩場はほとんどなく、お花畑あり、地塘あり、湿地帯の木道あり、時にゴーロ(大きな石がゴロゴロとあるところ)ありと変化に富み、快適でした。

 8月16日は、とても残念な下山の日です。しかしいたるところに沢筋があり、水は豊富。中ごろには湿地帯、そしてまた急降下、5時間ほどで降りついたところが日本一の落差を誇る「称名滝」です。小生、初めて見ましたが、とてつもなくすごい滝です。

 こうして、今年の我が家の夏山合宿は終わりを迎えました。辛くて途中で下りようかと思ったり挫折しそうになったりしましたが、試練と憧れの山「剱岳」に家族全員で登ることができ、これまで以上、より憧れの山になりました。日ごろ会話のまったくない高1の長男とも、夜行をいれ5日間も行動を共にするとそれなりにしゃべります。そういえばその長男が小学5年の時に、二人で早月尾根からの剱岳を日帰りで登っています。あの頃は元気でした。

 私にはまだまだ「夢」「憧れ」がたくさんあります。来年はどうしようか、これから考えます。皆さんも健康のためにも「夢」「憧れ」を大切にしてください。

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2009.4.13 弔い山行

 ひとりの大きな登山家が亡くなりました。原 真先生です。小生が開業する前に勤めていた原病院のオーナーで外科医でもありました。原先生は登山家、それに対し小生はただの山好き者でまったく人種は異なり小生がものを申すのもおこがましいですが、原先生の発想は実にユニーク、独創的で、山に対する考えを語るときは瞳がいつも輝いておられたことを思い出します。ヒマラヤなど高山への速攻登山については結果も出されており異論のないところであり、また、ヒマラヤへ行くと滞在しているだけで体重が減少する、この上ないダイエット方法だと力説しておられました。そして自論に確信を持たれてからの行動は実にすばやく、周りの方のサポートも大変だったと推察します。また、先生のすばらしいところは、ご自分の考えを押し付けない、いつも淡々とされているところであり、来るものは拒まず、去るものは追わずといったところでしょうか。小生も12~3年前にヒマラヤへ連れて行っていただき、約2週間一緒に歩き回り、いろいろなことを教えていただきました。貴重なお話を伺い、すばらしい経験をさせていただき感謝ばかりです。 (このホームページの表紙はそのときに撮影したサガルマータ〔英名:エベレストと〕ローツェ、右の特徴ある山は、アマダブラムです。)
 3月20日に亡くなられたそうですが、その事実も先日の新聞記事で知った具合です。ご本人の遺志で葬儀は行わなかったようですが、誰にもお知らせしないことなど原先生の御遺志として理解できてしまうことがより残念に思えます。

 山の仲間が亡くなると、無性に山に入りたくなります。そこで昨日は鈴鹿の御在所岳に登ってきました。世界的登山家の弔い山行としてはちっちゃな山かもしれませんが、朝10時には帰宅したかったので御在所へ「速攻登山」をしてまいりました。原先生のことをいろいろ考え、思い出しながらただひたすらに登りました。汗と一緒にいやな気持ちが放出された気がします。 写真は、登山道脇に咲いてい「つつじ」のような花です。

 弔い山行といえば、これまで、後輩(大学時代に慕ってくれていた高校三年生)、先輩(山の知識に加え人間関係の深さを教えていただいた大先輩)、そして同僚(一年後輩ですが、小生のもっとも尊敬する後輩でした)、そして原先生と・・・・4回目。そのたびに「最も楽しく生きよう。」と思うようにしています。

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